木曽・青鬼・松本への旅


( 平成29年8月27日〜29日 )

 JR中央線松本行を塩尻で木曽福島行に乗り換えて4っ目の小さな駅 木曽平沢で降りた。下車したのは3人だったが、何故かこんな小駅にイギリス人の若い女の子が二人降りた。彼女たちは漆器に興味があると言って木曽漆器のお店に入っていった。
        

 平沢は中山道贄川宿と奈良井宿の中間にある漆器の町です。奈良井川に沿って山が迫って深い谷間にある集落で平坦地が少ない農業には適さない場所である。しかし木材が豊富だったため漆器造りが盛んになり、江戸時代には輪島・会津と並んで漆器の産地となった。
 旧中山道が通っている平沢の町並みは,通りに面した表の間口は狭く奥行きのある家が多く江戸時代にできた宿場造りの面影を残しています。 


漆器店に入るイギリス人の女の子



 何軒かある漆器店の一軒に入ってみた。店先には漆器がたくさん並んでいる。話をしているうちに工房を見学させてもらうことになった。お店の奥へ入っていくと漆器の下地付けや研ぎの作業をしていて、2階の作業場ではで主と若い女性職人が中塗りや上塗りの作業をしている。1階からの埃が侵入しないように階段部分は間仕切ってある。主は漆塗りの行程や苦労話をいろいろ話してくれました。  


  
漆を塗る店主                           作業中の女性

詳細  ⇒  木曽平沢


 平沢の街並みと漆工房を見てから中央線で松本へ向かった。松本はこれまでに何回も来ているが、市街地に泊ったことはなかった。今回は駅のすぐ近くのホテル・エースイン松本にチェックインした。ホテルにバッグを置いて町に出たら、大きなスーパーがあり食品売り場を覗いてみたら美味しそうなお寿司があったのでこれを買って、お酒のコーナーで信州の銘酒「真澄」を買って今夜の夕食にすることにした。 




 2日目は松本発の大糸線で今回の旅の2番目の目的地・青鬼へ向かった。青鬼(あおに)の最寄り駅は大糸線信濃森上駅だが青鬼の集落に行くバスの便がない。あらかじめタクシーの予約をしておいたのでタクシーは信濃森上駅で待っていてくれたが、このタクシーは隣駅の白馬駅から来たものだった。
 タクシーは緩やかな坂の舗装路を20分ほどで青鬼の集落に着いた。降りた所は何もないただの原っぱだが、「山村集落・青鬼」という看板がかかっているのでこんな辺鄙な所へも来る人はいるのだろう。運転手は帰りのタクシーを呼ぶための電話番号を書いた紙をくれたが、タクシーを呼ぶのは何時になるか分からない。  








 昔は兜造りの屋根はすべて茅葺きだったそうだが、現在では鋼板葺きに変わってきている。茅葺き屋根はその維持が大変らしい。職人が少なくなったことと共に肝心の茅が少なくなっているそうだ。
 かっては集落の14軒がすべて茅葺きの兜屋根だったが、次々に鋼板葺きに替え遂に最後の1軒も鋼板葺きになってしまうので風情がなくなってしまう。これも時代の流れで仕方がないことなのだろう。



   




集落の外れに祀られていた道祖神

詳細 ⇒ 青 鬼


 帰りのタクシーを呼ぼうかとも思ったが、信濃森上駅までは下り坂で歩いてもたいしたことないの道なので歩いて行くことにした。車の全く通らない道をのんびり歩いたら約1時間で駅に着いた。
 駅前で何か食べようとお店を探したが見つからない。やっと見つけた1軒は休業中だった。こんなこともあろうかと軽食を持参したのは幸いだった。
       


 大糸線 松本行きの電車でこの地方の老女性と隣り合わせた。女性はこの地方の人とは思えないような雰囲気であり、嫁と二人で冬はスキー客相手の民宿を営んでいるそうだ。それ以外の季節はお客さんがあれば民宿をやるが、普段は畑で野菜を少しだけ耕しているとのことだ。この日は信濃大町の病院に入院している息子の所へ行くと言っている。青鬼のことを詳しく知っていていろいろ教えてくれ、そして、この地方での生活もいろいろ話してくれた。

 この後、松本に戻って前日と同じホテルにチェックインして2日目の行程を終えた。




 3日目は松本駅からほんの数分行った所に、白壁と黒なまこの土蔵が建ち並ぶ光景が広がっている中町通り商店街へ行ってみた。
 ここは善光寺に通じる善光寺街道の町として本庁・東町と共に「新町三町」に数えられている。明治時代に大火で町屋の大半が焼け、その後耐火性の高い蔵造りの建物が建てられた。その結果、白・黒のなまこ壁が独特の雰囲気を醸し出す町が生まれた。  


中町通り商店街の街並み


白漆喰となまこ壁の家


黒漆喰となまこ壁の家


詳細 ⇒ 松本 中町通り



 信州の古い町並みを訪ねた青春18きっぷを使っての2泊3日の旅でありました。



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